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【橋本好弘がエンターテイナーであり続ける理由】


娯楽創造舎を立ち上げた時、私には大切な弟子がいました。

彼と「ドタバタコントに、歌、踊り、けん玉や独楽、大道芸を取り入れたライブを作って、お子様からご年配の方まで、考えずに笑ってもらえるものを作りたいね!勿論、しっかりした芸でね。 将来的には、オリジナルのミュージカル・コメディーに発展させよう!」

と言う話で盛り上がりました。

そして、西崎 果音と3人で、娯楽創造舎を立ち上げました。

2012年の冬でした。

彼は、娯楽創造舎を「最大限の表現、思いきり挑戦が出来る唯一の場」と考え、本当に大切にしてくれました。

紆余曲折しながらも、ライブを開催していくうちに、ダメ師匠が弟子に振り回される「師弟タッグ」と言うスタイルが出来上がりました。

そんな矢先、弟子は他界してしまいました。

ショックでした。

「辞めようか…」と思った事もありましたが、弟子が大切に思っていた娯楽創造舎への愛と情熱を引き継いでいく決心をしました。

又、彼とは、こんな話もしました。

「なかなかエンターテイメントに接する機会が無い方々の為に、お声が掛かれば何処にでも行くボランティア活動が出来たらいいね。」

実際に、彼と病院でボランティア活動をすることが出来ました。

そして彼を失った今、私は「師弟タッグ」で披露した大道芸の部分を基軸にして、活動しています。

そのボランティア活動をしていた時に、こんな事がありました。

ある女性のお客様から「子供が見たいのだけれど、車椅子に乗っていて中庭に出られず残念がっています。」と言われました。

中庭で、大道芸パフォーマンスをしていた時です。

その子は、12歳の男の子で小児麻痺を患っていました。

すぐに建物内に入り、車椅子に乗っている少年の前で、パフォーマンスを披露しました。

微かに笑ってくれました。

別れ際に手を振ったら、不自由そうだけれど、確かに手を振ってくれました。

お母様からも、 「普段は、あまり表情が無いのだけれど、笑顔が見られました。有難うございました。」と とても感謝され、お礼を言ってもらえました。

自分が披露したエンターテイメントで、人に笑顔になってもらえる。

これ以上ない、本当に嬉しい瞬間でした。

こんな日もありました。 公園で大道芸の練習をしていた時、小学生の少年達が「凄い、凄い!」と言って、芸を見てくれました。

少年達のリクエストに応え、出来る限りの芸を披露しました。

少年達が帰り際に「こういうのを見たらお金を払うんですよね。」と言って、 ポケットから200円を取り出して、渡してくれました。 私にとってはその200円はお金では言い表せない価値がありました。

あまりの嬉しさに、今も御守りの様に持ち歩いています。

ハンディキャップがある子も、その両親も、小さな少年、少女も、 みんなを喜ばせる、心から笑顔になってもらう為に、 エンターテイメントのプロフェッショナルとして活動を続けています。 「笑顔を作り、笑顔を作れるパフォーマーを育て、笑顔の世界を創る」 それが私がずっと持ち続けている信念です。」



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