top of page

誕生日

  • 執筆者の写真: スタッフ
    スタッフ
  • 2018年7月24日
  • 読了時間: 2分



娯楽創造舎ホームページをご覧の皆様、いつも有難うございます。 橋本 好弘です。 連日、猛暑が続いておりますが、お変わりありませんか? さて、本日、7月24日は、一番弟子・杉野 俊太郎の誕生日です。 彼も、熱い男でした! 1985年生まれだから33歳になるのか… 俊太郎は、娯楽創造舎創立メンバーの一人でもあります。 この時期になると… 俊太郎がスイカを食べ過ぎてお腹を壊した事。 (笑) 振り付けを手伝ってもらい、終了後、ファミレスで酔った俊太郎が顔を真っ赤にして、フラフラしながらご機嫌で帰宅した事。 自転車で移動中に水やスポーツドリンクを買った挙句「電車賃の方が安かったですね。」と言って笑った事、等々、色々な事を思い出します。(笑) 真面目で、いつも明るく周囲を楽しませてくれた生粋のエンターテイナーでした。 そして、よく響く伸びやかな高音で笑っていました。 俊太郎に出会ったのは10年前、娯楽創造舎でライブを始めたのは6年前… 「まだ、それしか経ってないのか…」と改めて感じます。 私とは16歳、年齢差がありましたが、テレビ番組、歌謡曲、プロレス…等々、妙に話が合い、「俊太郎、年齢をごまかしてない?」と言っては笑っていました。 一緒に過ごした殆どの時間は、笑っていました。 俊太郎の「師匠」でしたが、特に何かを教えた事は無く、とちらかと言えば仲良しの幼馴染みの様な間柄でした。 肝心の芸事は、西崎 果音が手塩に掛けて育ててくれました。 俊太郎が通っていた専門学校でミュージカル科の講師をしていた西崎は、いち早く彼の才能を見抜きました。 確かに、才能の塊の様な男でした。 持って生まれた美声は勿論の事、勘の良さ、頭のキレ、空気を読む能力…等々、この時点で既に師匠超えしていました!(笑) 専門学校卒業後、すぐに大劇場に立った俊太郎は、色々と戸惑った様です。 そんな時、技術面、メンタル面を支えたのが西崎でした。 大劇場でロングランを乗り切るには、「心技体」どれも欠けてはなりません。 状況に応じて、西崎は俊太郎に的確なアドバイスを出していました。 なので俊太郎は、西崎を「芸能の母」と思い、本当に信頼していました。 西崎と「今、俊太郎が居たら娯楽創造舎は、どうなっていたかなぁ?」と、しばしば、話す事があります。 答えは分かりません。 俊太郎が命懸けで向き合った娯楽創造舎。 これからも俊太郎の遺志を受け継いで、皆様に楽しんで頂けるライブを創っていこうと思います。 今後とも、宜しくお願い致します。

Comments


bottom of page